牛窓の仕事工房について


牛窓港(昭和中期:© 2016 Hidenori Fukumoto)

瀬戸内海に面する小さな港町、牛窓。ここに、かつて500名近い船大工がいた。彼らは海辺に隣接する工場で朝から晩まで数多のノコやノミを使い分け、木造船を作り上げていた。
しかし、時代は高度経済成長期。技術革新により木造船は次々と鉄鋼船へ切り替わり、ついに昭和39年を最後にその姿を消した。船大工たちは家大工へと姿を替え、船大工であったことを隠すようになった。キツくて汚いこの職業を恥じていたからだ。そうして長い歴史の中で培われてきた船大工の高い技術は、語り継がれることなく埋もれていった。

「牛窓の仕事工房」代表の小家弘誠はまさに、そうした牛窓の歴史の中で育った。彼の大叔父は、和舟に合う(ろ)や(かい)、舵を一隻ごとに赤柏という固い木から削り上げる職人であり、叔父は焼玉エンジン(セミ・ディーゼル機関)の特許を持つ有能な機関士であった。牛窓の文化や手仕事が身近にあり、また、小さい頃から一片の材木から大きな木造船が立ち上がっていくのを間近に見ていた彼は、失われていく船大工仕事を後世に伝えたいと想った。そして生き残っているかつての船大工たちから工法を聞き出し、それを応用して工芸品の製作を開始した。時代に置いていかれた技術を、現代にも使えるかたちとして残していきたかったからだ。それが「牛窓の仕事工房」の始まりだった。


本多金一による櫓(大正時代に製作)


木の厚さやカーブによって7種類の摺鋸を使い分ける

木造船業における、日本の特出した技は大きく二つ。「鋸摺り(のこずり)」と「曲げ木」だ。「鋸摺り」は、複数の板をつなぎ合わせて船底を作る接合法で、歯が交互に違う向きをむいた摺鋸という特殊なノコを用いる。小家はこの技術を用いて、テーブルや引手箱、そしてアート作品を製作する。鋸摺りによって合わさった板は、鏡面のように滑らかであり、木目が混じり合って独特の幾何学模様をあらわす。「曲げ木」は、湾曲する船形に合わせて木を曲げていく技術で、火を焚いたり、蒸気によって暖めることで木をたわませ、圧を加えていく方法だ。小家の作品の中で、この技術は花器などに応用されている。

「牛窓の仕事工房」代表・小家弘誠
牛窓で生まれ牛窓で育ち、十代の頃、工芸を生業とする師匠に弟子入り。金属を含む工芸技術を習得するが、師匠の死去後、公務員に転職。自宅建造時(32歳)、工芸アトリエを併設。子供の頃(昭和30年代)、木造船が盛んな頃の記憶をたどり、木造船技術の代表である、鋸摺り、曲げ木を後世に残す作品創りを始めた。
漁業で使用していた、櫓を作品化(花器)した、「うしまどの櫓」は、平成8年文化庁の著作権取得。平成20年に「牛窓引き手箱」が文化庁著作権取得。平成26年、瀬戸内市立美術館3Fに於いて「牛窓の船大工に学ぶ匠の技」工芸展開催。
平成28年、瀬戸内市立美術館に於いて、第2回「牛窓の船大工に学ぶ匠の技」工芸展開催。東京日本橋三越本店イベント内展示


瀬戸内市邑久町のアトリエにて