瀬戸内海に面する小さな港町、牛窓。ここに、かつて500名近い船大工がいた

彼らは海辺に隣接する工場で朝から晩まで数多のノコやノミを使い分け、木造船を作り上げていた

しかし、時代は高度経済成長期

技術革新により木造船は次々と鉄鋼船へ切り替わり、ついに昭和39年を最後にその姿を消した

船大工たちは家大工へと姿を替え、船大工であったことを隠すようになった。キツくて汚いこの職業を恥じていたからだ

そうして長い歴史の中で培われてきた船大工の高い技術は、語り継がれることなく埋もれていった

「牛窓の仕事工房」代表の小家弘誠はまさに、そうした牛窓の歴史の中で育った

彼の大叔父は、和舟に合う(ろ)や(かい)を一隻ごとに削り上げる職人であり、叔父は焼き玉エンジンの特許を持つ有能な機関士であった

牛窓の文化や手仕事が身近にあった彼は、失われていく船大工仕事を後世に伝えたいと想った

そして生き残っているかつての船大工たちから工法を聞き出し、それを応用して工芸品の製作を開始した

時代に置いていかれた技術を、現代にも使えるかたちとして残していきたかったからだ

それが「牛窓の仕事工房」の始まりだった